2016年9月、横浜市の旧・大口病院で入院患者3人の点滴に消毒液を混入して中毒死させた事件で、無期懲役の判決を言い渡された久保木愛弓被告。
被告がどのような家庭環境だったのか気になる人も多くいるようです。
この記事では、久保木愛弓被告の家族や生い立ち、また父親・母親・弟はどんな人なのかについて調査しまとめていきます。
久保木愛弓被告の家族構成は?
久保木愛弓被告の家族構成は以下のように報じられています。
- 父
- 母
- 長女:久保木愛弓被告
- 弟
事件当時、被告は一人暮らしをしていたとのことです。
家族構成は両親と弟、被告は独身で事件当時は一人暮らしをしていた。
東京新聞より引用
父親はどんな人?
久保木愛弓被告の父親は、転勤や海外単身赴任があったとの報道があることから、会社員のようです。
被告に対する子育てに関しては、手を引いていたとも報じられています。
父親が久保木被告の小学校4-6年時に海外に単身赴任したり、思春期になって「男親なので」と子育てから手を引くようになったりしたため、子育ての中心は母親だった。
東京新聞より引用
また、父親は法廷でも証言。
その際は、事件の遺族らに「大変申し訳ありませんでした」と頭を下げたと報道されています。
法廷で証言した後、父親は、事件の遺族らに「大変申し訳ありませんでした」と頭を下げた。被告はその姿をじっと見つめていた。
読売新聞より引用
母親はどんな人?
母親と被告の関係性については「過干渉って感じだった」と、父親は語っています。
父親は母親と娘の関係について「過干渉っていう感じだった。持ち物検査や小遣いのチェックが非常に厳しかった」と語った。
東京新聞より引用
被告は母親によくしかられており、様々な面で指導を受けていたとも言われていて、看護師になったのも母親の勧めだったと言います。
日頃から「積極的になった方がいい」と母親によくしかられ、(中略)
「目つきが悪い、愛想良くしなさいとか、表情の作り方でも母親の指導を受けていた。ありのままを母に受けいれてもらえなかった」と話し、(中略)
高校進学後に看護師の道を選んだのも母親の勧めだった。
東京新聞より引用
一方で、被告は事件の数か月前に大口病院を辞めたいと母親に相談の電話をかけていることから、母娘の関係性は悪くなかったのかもしれません。
裁判になってから、母親は法廷に姿を見せず、被告との面会には父親と一緒に来ることもあったが、来ないこともあったとも報じられています。
母親は姿を見せず、供述調書が法廷で読み上げられた。父親は逮捕後は遠方にいるため、面会は1年に1回ほど。母親と一緒に来ることもあったが、2020年9月に最後に会った時は父親だけだったという。
東京新聞より引用
弟はどんな人?
被告の弟については、特に報道はありません。
久保木愛弓被告の生い立ちは?
久保木愛弓被告の生い立ちについては下記のように報じられています。
福島県出身→水戸市→伊勢崎市
久保木愛弓被告は1987(昭和62)年1月7日、福島県に生まれました。
その後、幼少期は水戸市で育ち、その後中学生の時に神奈川県伊勢原市に引っ越しました。
高校は秦野市の県立高校に通っていたと報じられています。
自己肯定感が低い性格形成
上記の家族構成の項で触れた通り、被告は母親からしかられたり、指導を受けながら育ったと報じられています。
それらについて、被告は「小学校の授業参観が嫌でしょうがなかった」「ありのままを母に受けいれてもらえなかった」などと話しており、臨床心理士は自己肯定感が低い性格形成につながったのではないかと分析しています。
事件後、久保木被告は面接した臨床心理士に「小学校の授業参観が嫌でしょうがなかった」と話した。日頃から「積極的になった方がいい」と母親によくしかられ、休み時間で1人でいるところを見られると、後で怒られてしまうためだ。
臨床心理士は「目つきが悪い、愛想良くしなさいとか、表情の作り方でも母親の指導を受けていた。ありのままを母に受けいれてもらえなかった」と話し、そのことが久保木被告の自己肯定感の低い性格形成につながったのではと分析した。
東京新聞より引用