【89歳生保レディ】正下文子の自宅どこ?生い立ちは?【22億円詐欺】

【89歳生保レディ】正下文子の自宅どこ?生い立ちは?【22億円詐欺】

2020年10月に発覚した、当時89歳の生保レディによる22億円詐欺事件。

その生保レディは正下文子という名前で、どのような人生を歩んできたのか気になる人も多くいるようです。

この記事では、正下文子の自宅はどこなのか、またその生い立ちについて調査しまとめていきます。

正下文子の顔画像や現在は?

目次

89歳生保レディによる22億円詐欺事件の概要

89歳生保レディによる22億円詐欺事件の概要は以下の通りです。

  • 第一生命は2020年10月、西日本マーケット統括部徳山分室(山口県周南市)に勤務していた「特別調査役」が、客に架空の金融取引を持ちかけ、不正に資金を集めていたと公表。同社は特別調査役を7月3日に懲戒解雇し、山口県警周南署に詐欺容疑で刑事告発していた。金融庁は保険業法に基づく報告徴求命令を出した。
  • 生保レディの名前は正下文子。第一生命で知らぬ人がいない人物だった。トップクラスの成績をあげ、「上席特別参与」という特別な肩書を与えられていた。全国約4万4000人(20年10月時点)の営業職員の中で、この肩書を持つ人は十数人だけだ。
  • 優遇ぶりも際立っていた。営業職員は65歳定年。80歳まで1年ごとに契約を更新するという勤務規定になっている。89歳の元職員は特別調査役の地位を与えられ、20年7月まで勤務していた。特別調査役は、この職員1人だけだったという。
  • 正下氏が抜群の成績を挙げたのは、山口銀行の頭取を務めた最高実力者である田中耕三氏(94)の後ろ盾があったからだとされている。田中氏の威光は絶大だった。山口銀行の行内の契約を大量に獲得したほか、同行の紹介で取引先との契約も取っていた。山口銀行の取締役だった浜崎裕治氏が書いた小説『実録 頭取交代』(講談社+α文庫)に2人の関係が描写されている。正下氏は山口銀行の“女帝”と呼ばれていたという。
  • 山口銀行の「影のドン」として長らく君臨してきた田中氏は、正下氏との密接な関係を糾弾され、20年11月末、特別社友を辞任した。山口FGは、この人事で事件の幕引きを図った。
ビジネスジャーナルより引用

正下文子の生い立ちは?

正下文子の生い立ちについては、事件が起きた直後の週刊誌で細かく紹介されています。

生まれは周南市の近く

生まれは山口県周南市から車で30分ほど山間部寄りの場所だったそう。

生まれ育った家は、周南市の中心から山間部へ車で30分ほど進んだところ

『週刊現代』2020年10月24・31日号より引用

結婚前の家族構成

結婚前の家族構成については以下の通りです。

弟さんは事務機器メーカーの会長を務めるほどの人物だったようです。

  • 両親
  • 長女:正下文子
  • 弟1人
  • 妹4人

「彼女は長女で弟が一人、妹が4人います。生活は楽ではなかったと思いますが、きょうだい揃って優秀で弟さんは一橋大学を出て、いまは大阪の事務機器メーカーの会長さんです。

『週刊現代』2020年10月24・31日号より引用

キャリア初期は保母さんだった

正下文子の学歴は徳山市内の女学校卒で、キャリア初期は託児所を経営する保母さんだったと報じられています。

徳山市内の女学校を出たあと保育の資格を取り、お母さんと一緒に託児所を始めました」

農村で共働きが多いこの地域には、当時公立の保育園や幼稚園がなく、託児所は盛況だった。

『週刊現代』2020年10月24・31日号より引用

結婚相手は旧農林省の食糧事務所の職員

正下文子はその後、旧農林省の食糧事務所の職員だった夫と結婚。

「この頃、旧農林省の食糧事務所の職員だったご主人と結婚しています。

『週刊現代』2020年10月24・31日号より引用

夫は10数年前に他界し、娘さんがいることも報道されています。

ちなみに、同社の他の支社に勤める彼女の娘さんも、同じくMDRTの会員です

『週刊現代』2020年10月24・31日号より引用

娘さんも生保レディになっており、母親の正下文子と同じくMDRTの会員であると報じられています。

MDRTとは、保険セールスの中でも高額契約を達成した営業のみが加入できる団体。

1960年代に託児所の経営が傾き、生保レディの道へ

1960年代半ばに公立保育園ができたことで託児所の経営が傾いてしまったとされています。

正下文子はその後30代半ばで第一生命に入社し、生保レディとしての道を歩むこととなったと報道されています。

保育の仕事に馴染んでいた庄司だが、’60年代の半ば、町の合併により新たな公立保育園ができると、託児所の経営は次第に傾いていった。

学歴もなく、身体が弱くても雇ってもらえる仕事を探した末に、第一生命のセールスレディの仕事に就く。

『週刊現代』2020年10月24・31日号より引用

優秀な営業として結果を出した

第一生命に入社後の正下文子は、優れた営業力を武器にみるみる結果を出し、第一生命全体で一、二を争うほどのセールスレディへと駆け上がったと報じられています。

「彼女は『出世する人間』の嗅ぎ分けが上手かった。ウチの会社に限らず、県内の主要企業のトップに食い込み、その威光を上手く使って効率的に営業をかけていました。整った顔立ちだけど、酒はまるで飲めない。『色仕掛け』を疑うひともいたけれど、純粋に営業として優秀だった」

営業レディとしての腕前は、周囲の誰もが認めるところだった。

『週刊現代』2020年10月24・31日号より引用

正下文子の自宅はどこ?

正下文子の自宅がどこなのかについて、詳しくは報道されていません。

生保レディ時代の自宅は家賃7万円のマンション

正下文子が生保レディ時代の自宅は、家賃7万円のマンションだったと報じられています。

自宅は第一生命のオフィスからほど近い築40年ほどの賃貸マンション。オートロックもなく、家賃は7万円だ。それとは別に、物置小屋として5万円の部屋を借りていた。

『週刊現代』2020年10月24・31日号より引用

場所は「第一生命のオフィスからほど近い」と言及されています。

現在の第一生命の周南市のオフィスは下記の場所ですが、この近くだったということなのかもしれません。

事件発覚後は神戸の長女の家に身を寄せているとされる

2020年6月に顧客からの連絡を受けて詐欺が発覚。その後、正下文子は7月3日付で第一生命を解雇されたと報じられています。

その後は、神戸市にある長女の家に身を寄せていると週刊誌で言及されています。

本誌は庄司が身を寄せる神戸市の長女宅を訪ねたが、応答はなかった。

『週刊現代』2020年10月24・31日号より引用

現在は不明

しかしながら、神戸市にある長女の家に身を寄せているという情報は2020年10月時点のもの。

4年が経過しようとしている2024年8月現在、続報はなく詳細は不明です。

正下文子の顔画像や現在は?

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