2014年4月16日に起きたセウォル号事故。
10年が経過した現在もテレビで定期的に取り上げられるほど、非常にショッキングな事故でした。
そんなセウォル号の被害者について2つ死亡事故が存在しているミステリーについてテレビで特集され、なぜなのかと気になる人も多くいるようです。
この記事では、セウォル号事故でなぜ2つの死亡時刻が存在したのか、また助かった生徒はどうやって救助されたのかについて調査しまとめていきます。
セウォル号の船長の現在は?死亡説もあるが…
【セウォル号】2つの死亡時刻が存在するのはなぜ?
セウォル号事件で、とある亡くなった生徒に2つの死亡時刻が存在することが判明し、これがテレビでも取り上げられて大きく話題になっています。
故イム・ギョンビン君の死亡時刻は2つある
2019年11月のハンギョレ新聞によると、故イム・ギョンビン君の死亡時刻は以下の通り。
- 遺体検案書A:午後6時36分
- 遺体検案書B:午後10時10分
この約4時間の間に何があったのでしょうか。
適切に救助されなかった可能性
時系列で言うと、イム君が発見されたのが午後5時24分とされており、その後木浦韓国病院に運び込まれたのが午後10時5分。
死亡時刻の1回目は午後6時36分で、発見されてから約1時間後のこと。
そして、死亡時刻の2回目は、病院に運び込まれてすぐのことでした。
この2つの死亡時刻が存在する問題が発覚した後に詳細な捜査が行われ、この内午後6時36分に亡くなったとする遺体検案書Aに問題がありそうだと突き止められました。
午後5時59分には蘇生処置により一時的に脈が戻り、病院にすぐにでも移送するようにとの音声が確認されています。
しかしながら、最終的に病院に運び込まれたのはおよそ4時間後の午後10時5分。
本来であればヘリコプターで搬送されるべきところを、船を4回乗り換えて5時間かけて移送されたとも言われている点、また船の上で死亡診断があったことについても疑問があるようです。
特に社惨委は今回の調査で、2枚の遺体検案書のうち死亡時間を「18時36分」と記録した検案書は問題があるという結論を下した。当時、海洋警察と遠隔診療システムでつながった木浦韓国病院の映像をみると、午後5時59分にI君の不規則な脈拍とともに69%の酸素飽和度が記録されており、「I君を病院に移送せよ」という医療陣の緊迫した音声が入っていたためだ。つまり、I君がまだ船の上にいる時に遺体検案書が作成されたということだ。
ハンギョレ新聞より引用
【セウォル号】助かった生徒はどうやって?
セウォル号事故では、乗客・乗員476人のうち救助されたのは172人。
死者は299人、行方不明者は5人と言われています。
総乗客・乗員数の実に63.8%が死亡もしくは行方不明となっている、非常に厳しい結末となっています。
そんな中、助かった生徒はどうやって助けられたのかについてまとめていきます。
船体の右側にいた人が助かった
セウォル号は進行方向左側に45度傾いたと言われています。
そんな中で、沈没時に進行方向で右側にいた人は助かったと言われています。
左側は沈没して水が入ってくるにもかかわらず、45度傾くと、上へ逃げることもできません。
こればかりは完全に運だったのかもしれません。
「進行方向の左側に傾いた船で左側にいた人たちは助からなかったでしょう。45度に傾くと床はスベリ台になる。50度では鉄板の壁をよじ登るようなものです。船の左側にいたのと右側にいたことで生死が分かれたのではないでしょうか」
J-CASTより引用
船員の指示に従わなかった人が助かった
セウォル号の乗員は事故が起きた後、船長含め、乗客を見捨てていち早く沈みゆく船から脱出し、逃げました。
一部報道では、救助艇に積載できる人数が、セウォル号の乗客・乗員合わせた全員分に足らなかったことを船長らは知っていたとも言われています。
もし全員が助かれば、乗員は後回しにされ、乗員は危うい立場になってしまいます。
そういった事情もあってか、乗員はあえて船内放送でその場にとどまるように指示。
乗客の生徒たちはそんなことを知る由もないわけですが、その指示に素直に従った生徒は亡くなり、従わなかった生徒は助かったとも言われています。
セウォル号船長の悪事については下記の記事で解説しています。
セウォル号の船長の現在は?死亡説もあるが…