豊田商事が集めた2000億円のゆくえは?元社員のその後はどうなった?

豊田商事が集めた2000億円のゆくえは?元社員のその後はどうなった?

今から39年前の1985年6月18日に起きた、豊田商事による巨額詐欺事件。

会長・永野一男氏がテレビ中継中に殺害されるなど、人々の記憶に残る事件となった詐欺事件の被害総額は2000億円とされていますが、そのお金はどこに消えたのでしょうか?

この記事では、豊田商事が集めた2000億円のゆくえ、また元社員のその後はどうなったのかについて調査しまとめていきます。

目次

会長・永野一男の経歴

会長・永野一男の経歴は、以下のように報じられています。

  • 永野は岐阜県の生まれで、小学校卒業後に、母親の弟がいる島根県に預けられる。そこで中学校時代を過ごしていますよね。
  • 中学卒業後は、愛知県の自動車部品メーカーに勤めている。当時の給料は1万円。
  • 工場を辞めてからは、消火器の販売や不動産会社を転々とし、その後、先物取引の会社に就職
https://gendai.media/articles/-/48878?page=3より引用

その後、1981年に豊田商事の前身となる「大阪豊田商事株式会社」を設立しました。

会長は殺害された時に711円しか所持していなかった

会長・永野一男は1985年6月18日に2人の男によって殺害されてしまいますが、死亡時に所持していた現金は711円。

比較的庶民的なマンションに住んでいて、質素な暮らしをしていたと報じられています。

  • 殺された時の所持金はわずか711円。遺品で目ぼしい物は、30インチのブラウン管テレビとカラオケセットだけ。あとは舟木一夫とか歌謡曲のLPレコードと本が100冊ほど。金儲けと田中角栄に関する本がほとんどだった。
https://gendai.media/articles/-/48878?page=5より引用

一方で、永野一男は「小型飛行機やクルーザー、ランボルギーニなどのスーパーカーを所有していた」とも報じられていますが、それでも2000億円は到底使いきれません。

2000億円はどこにいったのでしょうか?

豊田商事会長・永野一男氏刺殺現場はどこ?

豊田商事が集めた2000億円のゆくえは?

豊田商事が集めた2000億円のゆくえに関しては、後に約200億円が回収され、残りの約1800億円は行方不明とされています。

後に回収された金額は約200億円だけで、残りの1800億円ほどのお金は、どこかに消えていました。

集英社オンラインより引用

営業成績優秀者には年収1億円超もいたという

営業成績優秀者には月収1000万円、年収にすると1億円超になる人もいたと報じられています。

営業成績優秀者には桁外れの報酬が払われ、月収1000万円、年収で1億円を超えるセールスマンもいた。

日本テレビより引用

2000億円を集めたとなると、相当な数の営業マンがいたと推測されるため、2000億円のうちの少なくない額は当時の従業員に渡っていたのではないかと考えられます。

それ以外の用途は不明です。

元社員のその後はどうなった?

元社員のその後で有名なのは、讃岐うどんのチェーン店「はなまるうどん」の社長・前田英仁氏が豊田商事の元幹部社員だったということが発覚し、上場延期になったという件。

これは週刊新潮の2004年7月1日号で報じられたようです。

また、大手不動産の会社に豊田商事の残党がいるともネット上で噂されていますが、真偽は不明です。

いずれにしても、豊田商事で営業をしていた経歴から、業種を変えて現在でも営業をしている可能性についてネット上では指摘されています。

豊田商事会長・永野一男氏刺殺現場はどこ?

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